サービカル カンサー シェフ (子宮頸癌)

2022年4月、ポルトガルにて子宮頸がんⅡbと診断され葡国にて治療中。

不穏な予感はこの頃から既に始まっていたのかもしれない。

生理の周期はかなり順調な方だった。でも生理痛がひどかった事もあり、内膜症であろう。との判断は20代の頃に受けていた。

34,5歳の頃、伯国へ行く前に。と日本で健康診断に行き、予想外にも”子宮筋腫”がゴロゴロあるが分かった。
開腹手術(縦切り)により1KG強(大きい物は直径12cm。大小合わせて合計10個)の子宮筋腫を取った。初めての手術だった。
白髪がすぐに出て来た。身体にメスを入れるとはそういう事なのだ。と強く感じた。
2か月後、伯国へ移住。

 

40歳手前、中々妊娠しないので不妊治療の専門医へ。

子宮に小さな水疱(?)が無数にある事が分かり、腹腔鏡手術をおこなった。

1年程治療を続けてみたが、治療代は高いし、主治医への不信感が募りやめた。

 

42頃、いい産婦人科の先生がいるよ。と聞き、最後の望みだと思い診断に。

前回の医者と違い、しっかりと聞いてくれ信頼出来る先生だった。

診察をすると、筋腫がごろごろあるよ。との話だった。
妊娠を望まないのであれば子宮全摘出を。妊娠を希望するなら今すぐ筋腫を摘出しないと。と言われ、子宮筋腫を削除すべく、3度目の手術に。
*子宮頸がんの検査も勧められ検査したが”陰性”。
一口メモ:伯国では、ビキニの線を配慮して、縦ではなく横に切るのが普通なのだそうで、手術で私のお腹の縦線を見て、ぎょっとしたらしい。

十文字になるのはあんまりだろう。と日本で切った縦の線のまま筋腫の核出をおこなってくれた。

その後不妊治療はしなかった。自然に任せた。

43歳・・・妊娠しない。兆候もない。旦那の希望もあり、養子縁組の申請を出す事になった。
46歳で養子縁組により、2歳8か月の男の子を迎えた。


もう手術はしない。と強く思った。。。。

そして、2019年にポルトガル国へ移住し、現在、私は51歳。家族になった私達の息子はすくすくと育ち9歳。

 

旦那と、可愛い息子が一人前になる迄は、必ず元気であり続けなければいけない。

私の使命。